#0026 『ペットボトルの騎士』

 海。砂浜。夏合宿。
 とぼとぼと、セイウンスカイはあてもなく歩いていた。
 砂浜ダッシュ。自己評価としてもかなりの手応えがあった。けれど。
「そりゃあさ、私一人が買い切ったトレーナーさんじゃないよ。あの人にとっていまは唯一のトレーニーが私というだけでさ」
 大きく嘆息。
 タイムを訊こうとしたら、トレーナーは数人のウマ娘に囲まれていた。曰くフォームの改善点を教えてほしい、曰く中長距離でのスタミナ配分のコツを訊きたい。そしてそれはトレーナーとしては至極当然とはいえ、それに対し真摯に的確に正解を考えて丁寧に返事をしていた。
「でも、あの子たちは契約を結んだウマ娘じゃない。なら、私から目を離すなんてあってはならないんじゃないですかね?」
 とぼとぼ、とぼとぼ。
 目を離しているからこそ、追ってこない。それがとても悲しい。
「あれー? 彼女、もう練習終わり?」
 ふと目を上げると、手を振る男性が二人。おそらく年齢は二十前後。大学生だろうか、日に焼けた肌と細身ながら筋肉質の身体を惜しげもなくさらし、手には缶ビールを持っている。
「練習終わりというか、まあ、トレーナーさんが練習を見てくれてないからもういいかなって」
 普段ならこういう手合いを相手にしないのに、寂しさが勝ったのか、スカイはちょっと唇に笑みを作って答えた。
「え? トレーナーが練習見てくれてないの?」
「それは酷いね、こんなに可愛いウマ娘から目を離すなんて、トレーナーの風上にも置けないじゃん」
 男たちが口々に言う。
「本当にそう。でも、まだ時間前だから、合宿所にも戻れませんし」
「えー、今日はかなり暑いよ? そんな中歩き回っていたら熱中症になってしまうじゃん」
「俺たちビーチパラソルあるから日陰で休んでいきなよ。俺たちはビール飲んでるけど、ちゃんとソフトドリンクもあるからさ」
 ……ナンパかと思ったけど、なかなか気のいい人たちなのかな。
 傷心と夏の暑さは、スカイの判断を鈍らせていた。
「じゃあ、ちょっとだけお邪魔、しちゃいますか」
「とりあえず頭にバスタオルかけなよ! 俺が首にかけてたやつで悪いけど!」


 目眩がする。思考がまとまらない。
「さすが走ることしか能がないウマ娘だ。チョロい」
 岩陰に抱きかかえられて運ばれて……ああ、私、この人たちに……?
「でもちょーっと体つきは貧相だよな。まあ、ウマ娘とヤるのは初だから、この際文句は言わねえけどさ」
「こんなこともあろうかと、ウマ娘に効く睡眠薬を手配しておいて良かったぜ」
 やだ……こんな、こんなのやだ……。
 こんなこと頼めないのはわかってるけど、助けてトレーナーさん……!
「おやおや、おいしい思いしようとしてんじゃん。俺にもちょっとご相伴にあずからせて貰えませんかね?」
 聞き覚えがある声!
「誰だよてめー」
「ふぉえーあーふぁん……」
 トレーナーさんと言ったつもりだけれど、呂律が回らない。変な声。でもそんなことはどうでも良かった。
「ふぉえーあーふぁん、たうけふぇ」
「誰何を問われると困るが、言うなれば君らより先にこの娘と約束してる者、とでもいうところかな?」
「はン、他のウマ娘にうつつを抜かしてこの娘をほったらかしたトレーナー殿かよ。あっち行ってろ」
「そういうわけにもいかなくてねぇ。返して貰えれば幸いだけど」
「うるせぇよ、畳むぞテメー」
「助かるなあ。洗濯物は山ほどある」
「うるせェ!」
 男の一人が飛びかかる。手に石塊を持っているのを見た私は、ぎゅっと目をつぶる。
 ポコン!
 石で殴る音ではない、軽快な音が響いた。目を開けると、男は持っていた石塊を取り落とし、へなへなと砂浜に沈み込む。
「なっ! テメー、相方に何をしやがった!」
 片割れが驚いたように叫ぶ。
「ああ大丈夫。急所に入れたから気絶しただけさ。生きてるし後遺症もない。挨拶如きで潰すわけにもいかんだろ」
 トレーナーさんの手には『日常茶飯事』というラベルが貼られた緑茶のペットボトルが一本。
「知らないだろうなあ。一子相伝門外不出の新興武道だから。まだやるか? それなら冥土の土産に教えてやるよ、師範代として『ペットボトル殴打道』ってやつの神髄を」


「悪かったなスカイ。迎えが遅くなって」
「……ペットボトル殴打道、でしたっけ。……師範代?」
「まさかスカイ、お前まで?」
「……え?」
「そんな武道あるわけないだろ」
「……トレーナーさん……あとでちょっと『お話』があります」
「……ん、じっくり聞いてやるよ」
 広い背中がクスクスと震える。そこに身を預けて、セイウンスカイは意識を手放した。




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