#0027 『自分に負けるな』 皆さん、こんにちは。……今日はこの場で、皆さんの前で特別講演を行えることを光栄に思います。 最初に、簡単に僕自身のことをお話しさせてください。 僕はこのトレセン学園へ二十五歳の時に新人トレーナーとして赴任して六十五歳で定年を迎えるまで、四十年間トレーナーしかしてこなかったので、結構変人の部類に入る年寄りの一人です。ずっと独身で過ごしまして、六十五でやっと結婚したようなことからも、あんまり一般的な人間じゃないなとお察しいただけるかと思います。そして今はその妻と一緒に喫茶店を運営していまして、主に調理場に立って、毎日限られた予算をやりくりして日替わりランチの献立で頭を悩ませています。このたび、そんな僕の何がポイントになったのかはわかりませんが、こうして皆さんの前で面白い話をしてくれと依頼されまして。……面白い話なら芸人でも呼べばいいのにと思ったし、予算的にプロが呼べないにしても、いくらでも適任になりそうな顔が脳裏に浮かんだのですが、もう乗りかかった船なんですから降りずに付き合ってくださいよと謎の圧力に根負けしました。そういうことで、よろしくお付き合いください。 ここでいきなり、非常に唐突でニッチな質問なので、えっと思うかもしれませんが、菊花賞の勝ち時計の第六位ってご存じでしょうか? これが平成八年のセイウンスカイ、僕の最初の教え子で三分三秒二。当時のレコード、唯一無二の記録。もう今じゃ三分一秒一を叩いたトーホウジャッカルの輝きでよく見えない。時間の流れってそんなもんです。とても公平なんですが、そのせいであまりにも冷淡で。 さて。 私の話を聞いてくださっている生徒さんの中には、たとえば名門アスリートの家系の出だとかその他様々な事情から、レースで偉大な蹄跡を残さなければならないと考えている方もいることと思います。そしてそれは、何も名門だとか無名だとかではなく、勝たなければならないとまでいかなくても、勝ちたいくらいのことは思っていることと思います。そしてそれはトレーナー陣も同じ。担当ウマ娘が願うなら、勝たせたいと思っています。 かつて、『一番なんか目指さなくても二番でいいじゃないか』と言った人がいます。ぼくは賛成しない。そういう考えでは一番になれないし、まして二番になる保証もない。その順位もいずれみんなの記憶から消えるんです。 でも、いつか消えるとわかっているのに、それでも上に行きたいのが本能だから、それを僕は笑わない。積極的に挑戦してほしいし、僕自身も挑戦したい。 高い志を持つ。それ自体は素晴らしいことです。 理想に燃えるのは素敵です。でも決して無理をしないでください。 少し昔の、僕の話をします。 僕はかつて水泳選手でした。オープンウォータースイミングという長距離です。僕に託された志は二十五キロ。そこまでのスタミナに自信はなかった。早朝から深夜まで疲れようが眠かろうが練習に明け暮れました。でもダメだった、頭が暴走してペース配分が狂い途中でスタミナを使い果たして溺れた。水への恐怖で入浴もできなくなった。 今でこそ風呂もプールも大丈夫ですが、未だにあのとき海に飲まれたことを夢に見ます。 『勝つために命を捨ててもいい』とかよく聞きますが、根性論で乗り切ろうと思わないで。それは挑戦ではなく無謀です。どう戦うのが最善なのかは常に冷静に考えた上で、でも勝つために熱くなれ。そう思います。どこかの武道の心得で、火水合一というのがあるそうです。猛る火の勢いと、たたずむ水の静けさ。その両方が必要とか、そういうニュアンスだったと思います。 レースを諦める覚悟。 皆さんの中にも、それはただの臆病だと思う人はいると思います。かつての僕もそうだったように。 ですが今なら、自分の責任の下にそういう覚悟を決めたアスリートを、僕は全力で祝福するし、そのアスリートを誹謗中傷する者から全力で保護したい。 皆さんも、よく聞きませんか? 無理なスケジュールでレースに出てケガをして、調整に半年かかって夢に描いた重賞のゲートに立つことすらできなかった子の話。じっくり考えて詰め込んだスケジュールから出走をひとつ抜けば、そのケガは防げて、夢のレースで優勝のレイを授かれたかもしれない。……そんなのは綺麗事だと詰られるかもしれないけど、僕も定年を迎えるつい最近まで皆さんを舞台に送り出すトレーナーだったので、これは最重要課題として、いつも考えていたことでした。 どうか皆さん、覚悟という綺麗な名前の悪魔に負けない、強い理性を持ってください。 それが、長年アスリートを支援してきた僕がアスリートの皆さんに宛てた、ささやかな言葉です。 ご静聴、ありがとうございました。 |