#0022 『あなたのご趣味は?』


 窓の外から差し込む日差しを受けて身じろいだ。枕元の時計は朝の六時を示しており、いつもよりもかなり遅くまで眠っていたことを知る。いつもなら目を覚ましたときには隣でまだ幸せそうに眠っている妻のスカイが、もう起きているのかそこにはいなかった。いくら今日は店の休みであるとはいえ、少し寝過ぎた。生活リズムを大きく崩すと元に戻すのには骨が折れるので、本当はあまりやりたくないのだが。
ベッドの縁に腰をかけて伸びをして、寝間着を脱いで着替える。いつも制服として着ている白のカッターシャツに黒いスラックスとカマーエプロンではなく、今日はジーンズを穿き上も空色のシャツ。裾なんかもだらしなく出したまま。軽く手櫛で髪をなでつけて、口元で小さな欠伸を噛みながら階下へと降りていく。
「おはよ、スカイ」
 リビングの扉を開けてそこにいるであろう者の名を呼ぶが、それへの返事はなかった。
 卓袱台の上には粗く千切りされたキャベツ、スクランブルエッグとボイルしたソーセージが対面に並べられており、中央にはいつでも焼ける状態でトースターが鎮座している。そしてその向かいに愛妻セイウンスカイが恍惚とした表情を浮かべながら左手を撫でていた。
「おはよう、スカイ」
「あ……あなた、おはよっ」
 二度目の挨拶で気づいたのか、スカイはこちらを見上げてぱっと輝きを見せる。
「朝ごはん、用意してくれたんだな。ごめんな、いつもは俺のやる仕事なのに」
「こちらこそ。……いつもあなたはお店のために、朝の二時半に起きて、そのまま夜の九時まで頑張っているんだもん。お休みの日くらいは私がそのくらいやらないと」
「その気持ちだけでも嬉しいよ。……ちょっと今日は朝寝が過ぎた。ごめん」
「それだけ毎日お疲れってことでしょ? ……さ、食べよ? あなたが作ってくれるごはんみたいに、手は込んでいないけど」
 トースターに食パンをセットしながら、スカイは嬉しそうだ。
「……さっき、手を撫でていたけど、なにかあったか?」
「別に? ただ、あなたからこの指輪をもらったときのことを、ちょっと思い出してて……」
「ごめんなその節は。何十年も待たせて」
「いいのいいの、それは。……逆に、あなたが何十年も私を想ってくれていたことを知れたんだし。……どちらかといえば、待たせるならいいとこ二年か三年程度にしてほしかったなっていうのはあるけど、もう今更そんなことを言ってもやり直せないんだから仕方ないし」
「本当に、申し訳ない……」
「だからー、それはもういいって。私は幸せ、それはあなたがもたらしている。それだけで十二分だから……それに」
 トーストに塗るバターとハチミツの準備をするスカイが視線を向けた。
「いつだってあなたは、私の幸せと自由を最重要視してくれてる」
「そりゃ……こんなことを口に出すのは照れくさいけど、スカイの笑顔が俺の幸せだからな」
「私の笑顔があなたの幸せ、ねえ……」
 小首を傾げたスカイが真顔になった。
「本当に、そう? 単にそう思おうとしているだけじゃないの?」
「えっ?」
「私、怖いよ……」
 トーストが香ばしく跳ね上がった。
「あなたと初めて会ったときから、私は私のことだけ考えて、あなたのことを深く考えないで好き勝手に振る舞ってきたよ。そんな私を、あなたは最初から一貫して、私をずっと肯定し続けて、支えて、ときには道化になってさ」
 手早くバターを塗り、匙で掬ったハチミツを垂らす。
「ずっとあなたは、私の後始末をし続けてきた。あなたにはあなたの好き勝手があったはず。私は……あなたの好きを知らない」
 トーストが一枚、平皿に載せられて俺の手元に届く。
「私、あなたの後始末に振り回されたことがない。不完全なあなたを見たことがない。それって等身大のあなたじゃない」
 じっと空色の瞳が俺を捉える。
「お願い。私を本当に好きでいてくれるなら、私に等身大のあなたを教えて。あなたの幸せのお手伝いをさせて!」
「ストップ。スカイ、ちょっとクールダウンしろ」
 ビクッと身体を硬直させて、二秒ほど後に弛緩させて、スカイは大きな溜息を吐いた。
「ごめんなさい。ヒートアップしてた」
 苦笑を浮かべて俺は皿のトーストを小さくちぎって自分の唇に寄せた。そしてそれをスカイの口元に差し出す。
「ダメかな?」
「ふぇっ?」
「惚れた女の笑顔を守りたい。そのためならどんな苦痛も厭わない。……それだけを幸せと定義するのでは、ダメかな?」
「……私?」
「スカイ以外のどこの女に惚れるんだ俺が」
「え……あっ……」
「スカイが笑って暮らせるなら、俺は悪魔に魂を売り渡すことも躊躇しないぞ。だが、それだけではスカイが不満だと言うのであれば」
「ふ……ふぇえぇ……」
「……俺の趣味、一緒に探してくれるか?」



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