#0019 『三文芝居の茶番劇』 扉のカウベルが響く。 「いらっしゃいませ! ……ってあれ?」 「こ、こんにちはスカイさん……」 小さな身体で大きなスーツケースを引いて、彼女が来た。 「フラワーのところが夫婦喧嘩、ねぇ?」 いろいろな感情が交錯した苦しそうな表情をしていたので、あまりそれを他の人達に見せたくなくて、私はフラワーをそのまま店の奥からリビングに上げて待たせていた。ランチの営業を終えて誰もいなくなってから、店のテーブルに呼び戻して話を聞く。少し困ったような表情で自分はどうすればいいかと問いかけてきたあの人には、同じテーブルではないけれどカウンターの向こうでアフタヌーンティーの営業に向けての準備をしていてもらうようにお願いした。フラワーが共感を欲しているときは女の私が対応するほうがいいけど、問題解決を欲したときは男のあの人のほうが間違いがない。その両面に対応したい。 「ごめんなさい……。こんなことで、スカイさんのところに逃げ込んで……」 「いや、それは全然構わないから。むしろそんなときに頼ってもらえるのは、嬉しいから」 「ありがとう……ございます……ぐすっ」 涙声になったフラワー。どうしたらいいのか困って視線を彷徨わせたら、カウンターのあの人がすっと動いた。 まずフラワーの前に、続いて私の前に、静かに置かれたティーカップはアップルミント。そしてジンジャーのクッキーが花弁のように並べられている。アップルミントもジンジャーも、鎮静やリラックスの効果がある。 「とりあえず召し上がれ。『お茶を飲みましょう、こういうときに英国人はお茶を飲むの』ってね。……これ、ピーターパンが窮地に追いやられたときにティンカー・ベルが言う科白な?」 どうやったのか、広げた右の掌を握って手首のスナップを二度効かせて、フラワーの前でパッと開くと一輪の蓮華草。目を丸くするフラワーに、左手でそれをそっとつまみ上げて、すっと膝を折ってフラワーを見上げる格好で渡してる。……ちょっと、ちょっとちょっと。悪意がないのはわかってるつもりだけど、それはそれとして、セイちゃんフラワーに妬いちゃいそうなんですけど。 それをフラワーも察したのか、私の方を示してちょっぴり困ったような顔を。……こら、そこで初めて気がついたって顔をするんじゃない。 あの人は慌ててポケットを探るような格好をして、これ以上何も気の利いたものを仕込んでないよという感じで両手を振って、落胆したような顔になって困ったアメリカ人のように肩をすくめて。……あーはいはい、咄嗟の手品のネタなんかいくつも仕込んでないよね。 「スカイさんのトレーナーさん、すごい……!」 フラワーが驚いてる。私も驚いた。いつの間にかその左の掌に菊のブローチ。それを右手でつまみ上げると私の襟元に。……ちょっとなんですかそれ。こんなこともあろうかと、ってやつですか? というよりちょっとキザが過ぎません? 「やっと笑ったねフラワー。……つまらない顔をしていると嬉しいことでもつまらなくなるし、悔しい顔してりゃ面白いことでも悔しくなる。じゃあここで問題、泣きたいことでも笑顔でいれば?」 「……楽しくなりますよね」 「うん、フラワー。ご名答。……じゃあスカイ、あとはまた任せたよ?」 一仕事を終えた充実した顔で、フラワーと私の頭を軽くポンと叩いて、あの人はカウンターじゃなく厨房に引っ込んでしまう。 「……なんだか、今まで抱えていた悔しいとか泣きたいとか悲しいとか、そういう気持ちがどこかに行っちゃいました」 「あー、なんだかごめんね、うちの人が……」 「スカイさん、それ、惚気ですか?」 クスクスと笑いながらクッキーに手を伸ばすフラワー。 「そうじゃないって!」 反論しているとスマホがメッセージを拾って鳴る。 「……あ、フラワー、ちょっとごめん。少しだけ席を離れるから、ここで待っててくれる?」 私は承諾を得るより早く厨房に引っ込んだ。 「とんだ舞台監督ですね、あなたも」 「いやーそれほどでは」 「褒めてないんですけど?」 厨房の陰からフロアを見る。そこにあるのは熱い抱擁を交わす二人の姿。 「フラワーがここに飛び込んでくる七時間ほど前かな、あいつから連絡があって、おおよその事情は掴んでたんだ。……で、どこにも行っていないということは、家出をした時刻と距離なんかを総合的に考えれば、じゃあここに来るだろうなとね」 「で、とにかく今すぐ店に来いとフラワーの旦那に返事をしたと?」 「そういうこと。……でも、ただ来るだけではまだ溝があるからな。そのバリアを可能な限り埋めないとと思った」 「それであのキザったらしい手品ですか?」 「仕方ないじゃないか。我ながら柄にないなと思わないではなかったけど、短時間でなんとかするにはオーソドックスな手段にこだわってられなかったんだから」 「もしフラワーが来ないで旦那さんだけ来たらどうするつもりだったんですか?」 「そのときはヤツから事情を聞いて、それを俺の視点でジャッジしてヤツが悪けりゃ絞めるし、そうでないならスナックにでも連れて行くかなと」 「あなた飲めないのに、そんなときに相応しい酒場なんか知ってるんですか?」 「ほら、商店街の。スカイがそれを知っているかどうかはわからないが、あそこに行けば俺らの仲間で折紙の手練れがいる。三人寄れば文殊の知恵ってね?」 「うわっ……!」 「あー、……フラワーと目が合ったな。手招きされてら」 「しかたない、行きますか」 ちょっとばつが悪い顔をして、二人でフラワー夫妻の前に。 「すみません。……仲直りもできたので、これで大丈夫です」 「ご迷惑をおかけしてごめんなさい、スカイさん、トレーナーさん」 「まぁ、よかったよ、フラワーのとこが元通りに戻って」 「泣かせるなよ、こんなかわいい子を。……それはそれとして」 私のあの人が首をかしげた。 「だいたい、何が原因で喧嘩になったんだ?」 「そっ……それは……」 この後、私たちはこっぴどく二人にお小言を食らわせることになる。 ……だってねえ。 まさか、『ポテトサラダの干しぶどうは許されるか許されないか』がこの事件の発端だとは、さすがに擁護が……。 |