#0012 『面影なんか胸に抱かない』


「ところでさ……こんな道具まで誂えてもらった上でこんな疑問を持つのもどうかと思うんだけどね?」
「はい、なんでしょうあなた?」
 私の横に並んで座り、水面に糸を垂らしていたあの人が唐突に首を傾げて質問を飛ばしてきた。
「そもそも、この川に魚はいるんだろうか?」
「どうなんでしょうねぇ? スマホもないし釣り情報誌もないし、私もここで何が釣れるかなんてさっぱりですよ?」
「さすがにスカイでも知らなかったか」
「当たり前でしょう。こんなとこ、初めて来た場所なんですから」
「普通に考えれば、確かにここは何度も来る場所じゃないよな」
 薄暗い水面にはテグスが二本。テグスといっても、これはとどのつまり、私の尻尾の毛を数本結び合わせてそれなりの長さにしたもの。釣針だって、私が現役の頃から愛用していた髪飾りのピンを流用したもの。当然ながら竿もその辺の松原に落ちていた枯枝。
「こんなところで油を売って釣りをする亡者なんて私達くらいしかいないと思うから、魚がいるとすれば警戒心はないはずなんですけどねぇ」
「ま、いいんじゃないかな。急ぐような旅でもないし」
「あなたはちょっと急ぎすぎたような気がしますけどねぇ。なんであなたがここにいるんですか。確かに、たとえ一日でも良いから私より先に逝かないで、とは言いましたよ? だからといって本当に暦日で一日後に追いかけてくるとか、セイちゃんだって怒るときは怒りますよ?」
「それは本当にごめん。スカイの三回忌、いや初盆、せめて四十九日まではと思っていたけど、スカイが眠った夜が明けて、かかりつけのドクターに死亡診断書を書いてもらうために往診を電話で依頼して、先生が来てくれるまでの間に自分までスカイと一緒に眠ることになるなんてさすがに想定外だった。……最後に背中に灼けるような激痛が走った気がしたが、その直後にはこっちにいたからな。もうどうしようもなかったなあ。式はどの程度の規模のものを開いて、誰にこのことを知らせなきゃいけないかとか、考えることが山とあって、悲しいとか思ってる余裕すらなかった」
「へぇ……その割には、私が息を引き取ってから、私の身体に縋りついてたっぷり四時間男泣きしてましたよね?」
「……知ってたのか」
「第三者的な視点から、じーっくり見てました。もっとも、揶揄おうが肩を叩こうが、気付かれもしなかったですけどね」
「そうと知っていれば、もう少し泣くのを堪えたんだがなあ。いちばん見せたくない弱みを握られたな」
「あと、今更言うなって話ですけど、私、あなたに謝らなきゃならないことがあって。……正直、私、そこまであなたに愛されてるって知らなかった……ごめんなさい。そりゃあずっと指輪を温めていたくらいだし、まったく私に恋慕を抱いていなかったわけではないんでしょうけど、それでも女の四十年を棒に振らせた贖罪の念の方が強くて、それで贖罪として責任を取ろうとしたんだっていう思いがずっとあったんです。でもそれって私が目を瞑っちゃったらもうその仮面なんかかなぐり捨てられるじゃないですか。なのにあなたはあんなに泣いてくれた。自惚れかもしれないけど、そのとき初めて、この人は本当に私を愛してくれてるんだって気づいて……。そうと知っていたら、もう少し私、素直にあなたに甘えることもできたかもしれないし、あなたにもっと胸襟を開いてぶつかれたと思うし……とてももったいないことをしちゃったんだなって」
「今になって気づいてくれたのなら、今からでもいいと思うよ? 一緒にもう一段高いところに上ろうか」
「怖いですねぇ。こんなにあなたの存在に依存してしまう体質にされちゃって、もう私に安寧の自由は訪れることはないんですね?」
「欲しいか? その安寧の自由とやらが」
「……いや、あなたが傍にいてくれる方が何倍も何十倍もいい」
「こっちの世界のシステムがどういうことになっているのか、まだ来たばかりでよくわからないけど、ここで水面に糸を垂らしている限りでは、裁かれて逝く世界が違うなんてこともなく、どうやらまだしばらく一緒にいられるみたいだな」
「わかりませんよぁ? もしかしたら、死んだはずなのにまだ我輩の沙汰を受けに来ないとはどうなっているのか、みたいな感じで閻魔大王の手下が隊を組織して大捕物を仕掛けてくるかも」
「……そうなると、沙汰を受けることをいたずらに遅らせたとかなんとかで、スカイも俺も地獄行きかな?」
「私はあなたと同じところに行けるなら、地獄上等です」
「……ま、なるようになるだろ。ケセラセラ」
「そういえばですね。……私、実は『死が二人を分かつまで』っていうあの表現、物凄く嫌いだったんですよね」
「あー。どんなに惹かれ合っていようが、死んだらそれまでっていうニュアンスに読めるよな」
「だから、死んだのに横にあなたがいてくれるなんて。さっきは『怒るときは怒る』と言ったけど、心がふたつあって、嬉しいなと思っている私もいます」
「そっか。……俺もこっちで労せずしてスカイを見つけられて、実は結構嬉しいと思ってる」
 その返事の代わりに、あの人の肩に私は頭をこてんと載せた。
「どこまーでも行こうー、道はー苦しくともー♪」
「きみのー面影むーねに、風を受けてー行こうー♪」

「……できることなら、私は面影じゃないあなたとずっといたいです、永遠に」


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