#0011 『弱きは弱きに執着するという学び』 五時半のアラームが鳴る。シーツの裾を摘まんで夢の世界にいたセイウンスカイは、もそもそと時計までベッドの上を這いずって、その騒音を止めた。 「もう朝かぁ……」 目を擦って、枕頭台の魔法瓶の冷水を飲んで、ふう、と大きな息を吐く。遮光カーテンの隙間から朝の光がちらつくのが見えて、窓際に立って光を浴びる。 「今日も、いい天気になりそう」 階下の台所からは卵が焼ける甘い匂いが立ちのぼっている。今朝もちゃんと甘い玉子焼きを作ってくれているらしい。 「あの人、本当は辛い玉子焼きが好きなのに、私なんかに合わせてまぁ……」 毎朝の心遣いに胸の中がキュッと締まる感覚を抱きながら、大きく伸びをして、口の端で悪巧みの笑みを浮かべる。 「さて、着替えますかね!」 「おはよう、よく眠れた?」 鍋に味噌を溶きながら声だけを飛ばしてくる夫の姿を認める。 「おはようございます『トレーナー』さん!」 「んっ……?」 小さくピクッと肩が動いた。これは面白い反応だ。 「どうしたんですか『トレーナー』さん?」 「え……スカイ?」 「にゃはは、案外着られるものなんですねぇ。セイちゃんビックリですよ」 「……いや、俺がビックリなんだけど。よくそんなもんまだ持ってたな……」 「いやー……あんまりマジマジと見つめないでくださいよ『トレーナー』さん。セイちゃんちょっと恥ずかしいですよ?」 「スカイ……」 「ちょ、ちょーっと目が怖いんですけどぉ?」 「ごめんスカイ、ちょっとその格好見て、俺もう自分を制御できない」 「ま……まさかあなたって、女子中高生大好きロリコンさん……だったんです……か?」 壁際に追い詰められながら、かつて着ていたセーラー服を震わせながら、声が震える。つい先ほど水を飲んだはずなのに、喉がカラカラになっていた。 「……スカイが悪いんだぞ」 「いやいや掛かりすぎでしょあなた! 目を覚ましてくださいよ! 制服着ててももう私五十も半ばですよ? ひぁ……」 「ごめんなスカイ。俺が素直になってあの頃からこうしていれば、お互いにもっと違う人生だったんだろうにな。好きだスカイ、愛してる、離したくない」 「ちょっ……もう、そのくらいで……。ダメだって、抱き締めながら耳元でそんな囁きしないで、ふあぁっ……!」 その日のランチ営業後。 「……ごめん」 「……言いたいことはそれだけですか?」 「あー……いや、もうなにを言おうが見苦しい言い訳にしかならんから、なにも言うことはない。ただとにかく……ごめん」 「いやー……。まさかあなたが女子中高生大好きオジサンだとは、さすがにこのセイちゃんでも幻滅ポイントですよ」 「……ひとつ発言して良いかな?」 「なんでしょうか」 「そこは反論したい」 「でも間違いなく私の制服姿に掛かってたじゃないですか」 「そこだ」 「どこですか?」 「制服着てれば誰でもいいってわけじゃない、ということだけは、反論したいと思うし理解されたい」 「じゃあ朝のあの醜態はなんなんですか」 「だからだな……『スカイの制服姿』だったから、ということを、理解して欲しい」 「へぇー……えっ?」 「単に制服姿の女子中高生なら誰でも良いってんなら、アフタヌーンティーの営業のときに、なんで俺が調理場なんかでボーッと映画なんか観てなきゃならんのかって話じゃないか。トレセンからここにお茶を飲みに来る現役中高生ウマ娘を、誰にはばかることもなく生視聴できるってのに」 「……あ。……あぁー!」 「たとえ五十過ぎだろうが『スカイの制服姿』だから……うん」 「……め、めちゃくちゃ私のこと好きすぎません?」 「だから、スカイが悪いんだよ」 「な、なんでそうなるんですか」 「定年退職の日に俺の前に出てくるから」 「……それ、言いがかりじゃないですか」 「それまでいなくてもなんとか耐えられていたスカイがさ……思い出のまま三途の向こうまで持って行くはずのスカイが出てきて、それでもなお諦めるなんて選択が出来るほどは、俺はストイックじゃないんだよ……」 「それはまぁ、私だって同じですけど……」 「しかもそれが、大昔に喪ったはずの思い出を持って来たらどうなる? それ見て平常心を保てるヤツなんて……いいとこカレンチャンの元トレーナーくらいだろ」 「……さりげなく『お兄ちゃん』をめちゃくちゃディスってません?」 「とにかく。……あの格好、間違っても俺以外の前でするな。俺の前だけでやれ」 「うわー……独占欲すごいですね」 「あの日以降の俺のすべてを引き換えに、あの日以降のスカイのすべてを譲り受けたんだ。俺はスカイの所有物だけど、その論法でいえばスカイは俺の所有物だ。俺の所有物に俺が独占権を行使しても問題ないだろ。つまり、それくらい当然だろ?」 「……ふふっ……。昔、私のことを恋愛弱者だなんて散々揶揄ってましたけど、あなたも大概、とんでもない恋愛弱者じゃないですか」 「その弱いもん同士で身を寄せ合った似たもの夫婦だろうが。それに、弱いからこそ、ひとつの恋愛にいつまでも諦め悪く執着するんだよ」 「……そうですね。……でも私は、弱者で良かったかなって思ってますよ?」 「……奇遇だな。俺もだ」 「ホント、私達って似たもの夫婦なんですね」 「……だから」 「はい?」 「今後も末永くよろしくな、俺のスカイ」 「……いまかなりドキッとしました。カンストしていたはずの好感度、限界値突破してまた上がりましたよ?」 |