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#0010 『復讐と幸せとおいしいごはん』 けたたましいベルが鳴る。 このご時世にどこで見つけてきたのかとよく質問される黒電話。それが知らせを受けよと喚いている。 「はいはーい、こちら喫茶『サンセット・ムーンライズ』でーす」 客が帰ったテーブルから下げてきた茶器を左手にしたまま、右手で受話器を取る。 『今から次の急行に乗るんで到着が五時半を少し過ぎるんですけど、行ってもいいですか?』 「あーごめんなさーい、うち五時ラストオーダーの五時半閉店なんで」 『それはわかっています。でも、行きたいんです』 「と言われましても、うちも年輩二人だけでやってる店なので、五時半まで店を回すだけで手一杯で……」 『覚えてらっしゃいますか? 私、ラピッドラビットです』 「えーっと……?」 『もう一年近く前でしょうか、お昼の遅い時間に友達とお店にお邪魔して、そこで私の友達がちょっと余計なことを言っちゃったおかげで一悶着があった……』 「……あ、あー! はいはいはい! ちょっと大柄で優しい顔したあのラビちゃん?」 『優しい顔かどうかはわかりませんが、たぶんそのラビです』 「それならそれと言わなきゃ。危うくお断りするところだったよ? いまから急行って言ったよね? ということは手前から普通に乗り換えてその普通が……二十九分着? おいでおいで! 歓迎するから!」 『連れがいて、都合三名なんですけど、いいですか?』 「三名だろうが八名だろうが十八名だろうがおいで! まあうちは定員十八だからそれを超えると入れないけど」 『良かったぁ! それじゃ伺いますね!』 受話器を置くと、調理場で折りたたみ椅子に座りながらウトウトと船を漕いでいた夫の元に出向き、その肩を軽く叩いた。 「あぁごめん。疲れてたのかな、少し寝てた……もう閉店か?」 「いんにゃ。今日は閉店時間が延びます」 「うん?」 「あなたのかつての教え子のラビちゃんから電話を貰って。二十九分着の普通で来るって。ラビちゃん含めて三名」 「そうか。……あすの食材は無理して買いに行かなくても在庫だけでなんとかなるし、それなら彼女たちを迎え撃つか」 「時間的にはご飯時だけど、お夕飯で出せる物、なにかあるかな……?」 「OK、もうそこまで時間の余裕もないし、簡単な物だけど今から作ろう。俺らの分もどうせ作るんだ、手間は変わらん」 「うん、お願いね、あなた」 「イェスマァム、任された」 「スカイさん、ご無沙汰してます!」 扉のカウベルが鳴り、大きな影が入ってくる。 「ラビちゃん、おひさしぶり!」 「トレーナーさんも壮健そうで、なによりです!」 調理場から顔だけ出した影にぺこりとお辞儀をして、ラピッドラビットが言う。 「三人って聞いたけど、一人?」 「あ、その、本当にお邪魔じゃないか最終確認で……迷惑そうな雰囲気なら帰ろうって話に」 「帰さないよ? 近くにいるなら連れておいで? 簡単な物だけど、お夕食も三人分プラス私達の五人分、あの人が作ってくれてるんだから」 「わかりました。ちょっとメッセージ打ちます」 やがて影がふたつ増え、カウベルを鳴らす。 「どうも……」 「トリちゃん! 元気にしてた?」 抱きつかんばかりのセイウンスカイを制しながら、トリと呼ばれた小柄なウマ娘が言う。 「約束通り、あんたをコテンパンにしに来た」 「……お初にお目にかかります。トリが……オートリヘプバーンがお世話になったそうで。私は……」 「私の婚約者や」 「こっ?」 驚いた瞳になって、その影をまじまじと見る。背丈はすらりと高く整っている。それでいて両眼にたたえた光が穏やかで、話をするまでもなく悪い男ではないことを理解する。 「南欧料理のレストランしてはるオーナーシェフさん」 「ほへぇ……」 「閉店時間過ぎにすみません。どうしても来て欲しいとトリから言われまして、店の方は今日のディナーの予約をかねてから断って時間を作ってお伺いした次第です」 「いやいやとんでもない。うちみたいな店にわざわざ足を……」 「スカイ? 料理を持って行くから皆さんに座って頂いて?」 調理場から声が飛ぶ。 「だそうです。皆さんあちらのテーブルへ!」 「うちはちゃちな喫茶店ですから、客人への夕食といってもしょせんこの程度のおもてなししかできませんで、誠に心苦しい限りですが」 いつも通りのカマーエプロン姿で、器用に右手に四枚と左手に一枚のプレートを載せた厨房担当が給仕をする。いつものモーニングやランチで使っている、既に仕切りの凹凸が入ったメラニン樹脂のプレート。載っている料理にしても、メインがスパゲティカルボナーラ、鶏の切身をポアレに焼いたものとサラダ。 「ちょっとぉ……もう少しこましなものは作れなかったんです?」 スープがあるから手伝ってくれと言われて夫と一緒に調理場に引っ込んだスカイが小声で囁く。 「あの顔、テレビかなにかで見たことがある顔だよ。記憶が確かなら、トリが連れてきたのは逗子だか葉山だか鎌倉だか、とにかくあの辺で一つ星を運営している人だ。……トリもまたとんでもないのを連れてきたなと驚きはしたが、だからといって卑下する必要なんかないさ」 「でも……」 「確かにな。使った食材はいつも通りの、コストと相談しての妥協の食材かもしれない。……だが、だからといって手間まで妥協した覚えは一度たりとてない。……いま、俺が手元から切れるカードで立案できて実行できる最良の作戦があれだ。スカイは店の大将らしく堂々と構えてろ、一つ星がなんぼのもんじゃいって気構えでな。……心配するな。これで勝てなきゃ俺の完全な力不足だ、仕様がない。そんときゃ俺が土下座でも首縊りでも切腹でも、スカイが望むなら、どんな罰でも受けてやる」 自分の右腕をペシッと自身で叩いてから、自信満々に頷く顔を見て、スカイの不安は霧消した。 「じゃあ、ダメだったときは、鼻でスパゲティ食べてもらいますからね!」 「ん、心得た」 表情が変わった。明らかに。 「あの……失礼ですが、この鶏は……?」 「はは……気づきましたか申し訳ない。うちは一食あたり数百円の商いでやっているもんですから、駅向こうの業務用食材を扱う店で買った、キロ単位でいくらのブラジル産冷凍ですよ」 「いや……しかし、これは……」 「ちょうど鶏皮の冷凍ストックが余り気味だったもので、アロゼの材料には間に合いました。しっかりと脱脂してカリカリにした皮は、軽くスパイスでも振ってやれば、庶民的で申し訳ないですがそれこそ晩酌の一合の肴とか、子どものおやつくらいの仕事ができますからね」 「このカルボナーラのソースも……?」 「そこらのスーパーにある牛乳とチーズと卵とベーコンを使っただけです。……ああ、でも濃厚さを出すためにチューブの無糖練乳を少し」 「麺もこれ、絶妙ですが……」 「乾麺ではなく生麺です。とはいえ冷凍ストックですが」 「それを……我々が突然来ると知ってから、しかもラビさん以外の誰が来るか知らないままに、あの短い時間でお考えになった上で、実際に……?」 「ははは……せめて前日にでもお越しになることを聞けていれば、食材にしろ献立にしろもう少しいいものをお出しできたんですが。あの条件下で用意できた最上級ディナーがこれしきで、面目がない」 「トリ……お前、現役中は、この方の料理を食いたいと思ったらいつでも食わせてもらえてた……のか?」 「……え、まあ、うん。ていうかトレーナーは余計な世話焼きたがるタイプやったから、おもっくそ調整が入るレース前とかは昼夕の一日二食は? ……なぁラビ」 「うん、出走が続くときなんかは三ヶ月くらい毎日かな?」 「マジか……マジか。俺この人にもっと早く会えていたら、あるいは今頃星二つを狙えるくらいのところにいたかもしれない……」 「うちみたいな店の料理で、何かヒントになれば幸いです」 「ヒントどころか……」 「それはそれとして。私は親ではないのでこんなお願いをするのは不躾かと思いますが、この子を……トリをどうかよろしくお願いします」 「あああそんな! どうかそのお顔を上げてください!」 「ちょいちょいちょいトレーナー! うちの親でもやらんかったようなことせんでええから!」 「あなたって……凄いヒトだったんですねぇ……」 「よせやい。……俺だってこれでも、この『サンセット・ムーンライズ』の店主に拾ってもらってここの厨房の一切を任されているシェフだからな。ああいう店の一流シェフと比較して、スキルだ頭だはともかく、少なくともメンタルでだけは絶対に負ける訳にゃいかんのよ」 「ふふ、最初はトリちゃんが凄いヒトを連れてきたとビビっちゃいました。でもやっぱり、誰が相手に出てこようとも、私にとってはあなたに勝るヒトなんていないんだなって再認識です」 「イェスマァム、そのお言葉、この身に余る光栄で勿体のうございます」 「……うむ、こたびはその方、よく働いた。この功績決して軽からず。よって勲章を授与する」 「勲章?」 「……まぁ、ここにはこの程度の勲章しかないけどね? んっ……」 「……。はは、スカイから能動的に唇を獲りに来るとはな。でも確かにこれは俺にとって最高級の勲章だ」 「今夜のセイちゃんはエクセレントブリリアントマーベラススペシャルスーパーハイパーに素敵なあなたにうんとこさ甘えたいので、寝かしませんからね?」 「そんなことすると、明日の朝、店が開けられないじゃないか」 「それはノープロブレム。既に店の表には『本日体調不良のため誠に勝手ながら臨時休業致します』って紙を貼ってるから」 「いつの間に」 「寝不足だって体調不良でしょ?」 「……そのかわり、明後日は覚悟しろよ? 息をつく暇もないくらい働くし働かせるぞ?」 「ヨロコンデー!」 「なんだかまた今回も、タダでトレーナーさんのごはん、ご馳走になっちゃったね」 地下鉄の車両の隅の席。大きなウマ娘が先刻の味を思い出すように隣の小柄に話しかける。 「実はな、ウソやってん」 「なにが?」 「彼の前で言うた、職場に忘れ物したから取ってこなあかんからって、ラビと同じ電車に乗る、いうんが」 「……なんで?」 「そうせな、ラビと一緒の時間が作られへんかなって思って」 「……?」 「あの人なぁ、めっちゃええ人やねん」 「そうだね、ごちそうさま」 「いや、これ惚気やないから、ちょっと聞いてえな」 大柄が肩を竦めて見せたのを、小柄がその腕を掴んで言う。 「ただ、ひとつだけ許されへんことがあんねん」 ただならぬ状況を察し、大柄が小柄の顔を覗き込む。 「あの人、親もなんか結構有名な飲食店やってはるみたいで、それこそ物心ついた頃から包丁持ってフライパン振ってはったらしいんよ。料理界でいうエリートみたいなもんなんやろか」 ちゃんと聞いているよと言う意思表示を大柄から送られて、小柄が続ける。 「せやから、あの歳で、ああさすが一つ星のオーナーシェフやなっていう腕してはる。それはラビも連れてって食べてもろたし、わかるやろ?」 「……そうだね、美味しかったね」 「せやけどなぁ……」 電車が急なカーブにさしかかり、車輪とレールが擦れる甲高い音がトンネルに反響し、少しだけワインが入った頭にわんわんと響く。 「なんか、ちゃうねんよ」 今度は駅に接近し、ブレーキが軋む。 「なにかが、違う?」 ホームに停車し扉が開く。これから郊外に向かう側のホームは人で溢れているが、都心に向かうこちら側は閑散としていて、車内にも立っているのは数人程度で。 「ええ食材を金に糸目つけんと惜しみなしに使うて、それを世間様が美味しいって評価するんは……こんなん言うのも失礼やけど、当然やん?」 「……当然かどうかまでは断言できないけど、その確率は高くなると思うよ」 「ラビも知ってるやろ? 私が乳製品……いうか、乳脂肪が苦手なん。生クリームとかチーズとか」 「現役の頃、トリちゃんの誕生日パーティをしようとしたら、ケーキ買うてきたらあかんで、買うんやったら和菓子にしてやって言われたね」 「でもそれもお構いなしやねんね。私が苦手なもんでも、これはこだわり抜いた食材で作った料理なんだから美味く食えるんだ! って出してくるし、それがやっぱり受けつけんで残したら怒る。……作ってくれたのん残すとか失礼やっていうのは確かにそうやと思うで。でも、それ苦手やっていう人にそんなん知らんがなって出してきといて、食べんかったら怒るとか、ちょっと自分勝手が過ぎへん……?」 「……あー、うん、そんなとこあるね」 「今日、トレーナー、カルボナーラ作ってくれはったやん?」 「美味しかったね」 「せやな、美味しかった。……けど考えてみ? カルボナーラやで? 卵はともかく、牛乳にチーズやん。乳脂肪の寄せ集めやん? 普通に考えたら、私が好きな系統と真逆の位置におる料理やん?」 「あれ……? トリちゃん普通にあれ完食したよね? 無理して食べたとか……?」 「……あれな、ホンマに微妙に、私のんがソースの色薄かったん、気づいた?」 「……え?」 「ラビがあのお店に電話して三人で行くって伝えたとき、たぶんトレーナーはこう考えはったはずや。『ラビを含めて三人。親友のトリはおそらくその一行の中にいる。もう一人は誰かわからないが、来客三人のうち少なくとも一人は乳脂肪が好きではない確率が極めて高い。……なら、五人分作るうちの、まだ明確ではない来客二人分はバタ臭さ抑えて作って、もし予想が外れてたら、ハズレがひとつなら薄いのは自分が、ふたつなら申し訳ないが奥さんにも回して来客三人には美味しいの食べてもらおうか』って。色薄かったんは、チーズの量を抑えてエバミルク入れなんだソースも作ってたんやないかなって思うし、それでもあの程度の色の違いで抑えてみんなの目をごまかせたんは、私らのソースには卵黄多めに入れてるからやわ。どないしてもチーズの黄色を乳脂肪以外で補おうとしたら、レシピから考えたら卵黄しかあらへんからね」 「え……えっ?」 「料理のプレートを配膳するのはトレーナーが全部やらはったやん? スープは奥さんと一緒にしはったけど。全部配膳したいうことは、どのプレートを誰の前に置くかはトレーナーだけが決められることやん。……これは憶測やけど、味濃いの、薄いの、濃いの、薄いの、濃いのって順番で腕に重ねてプレート持ってきてはったんやないかな。配膳の順序に淀みとか迷いとか、あと配膳順に妙なちぐはぐさが全然なかってん。どんな席順で座ってても対応できるようにって考えたら、多分そういう順番で出せるようにしとかな無理やもん。……多分そこまでちゃあんと計算して、当事者以外の誰にも気遣いを悟られへんようにしてはったんや。あの人とラビと奥さんの前に置いたんはソースの色が濃い、たぶん味も芳醇なカルボナーラやったんやろけど、私とトレーナーの分は乳脂肪少なめに抑えててちょっとだけ薄かったんよ。……ほら私も、曲がりなりにも一流シェフの婚約者やから気づいたんよ。……っていうても、口に入れたときの違和感に端を発して、よう見たらよう考えたらそういえば、って芋づるでわかっただけやけどね。それに気づいてトレーナーを見たら、トレーナー、自分の唇の端についたソースを拭くようなフリして私に黙っとけってジェスチャーしはったんよ。……奥さんも、トレーナーのあの流れる所作のあまりの自然さやし、そもそもそんなことしてはるなんて想像すらできてへんやろなぁ。……バカにするわけやないけど、あの奥さん、自分がどれだけ凄いゆりかごの中に包まれてるか、少なくとも私より理解できてへんと思うで?」 「そんなことが……なにもわからなかった……」 「トレーナーは、さすがに純粋な料理全体のスキルは、まぁあの人に勝たれへんやろって思うんよ。ようテレビとかでやってる料理対決番組みたいな、おんなじ材料と制限時間でおんなじ料理を作れとか、つまりまったくおんなじ土俵で相撲したら、開始三秒であの人に上手で投げられて終わりやろね」 「……」 「でもな、あの人が勝てるんは、あくまでおんなじ条件でおんなじもん作れっていう条件戦だけや。去年食べさせてもろたおんなじ見た目の大盛りと小盛りやのに摂取カロリーも蛋白質もほぼほぼ一緒のランチ作るとかかてそうやけど、そういう気遣いとか、食べる人の好みに配慮して最大限合わせながら絶対に譲られへんところのラインを護るとか、そこまで全部ひっくるめて勝負したら、逆に今のあの人は……トレーナーが立ってる土俵にたどり着くことすら無理なんやろね。トレーナーの真価は安い食材を高級食材と同レベルに引っ張り上げる力とか、そんなお遊戯みたいな程度のもんやないんよ。あの人そんなことを感服しとったけど、お前の目はそんなに曇っとんのかい、それでよう一つ星シェフでございってデカい顔できるなあってツッコミかけたわ。……トレーナー、世間の大多数がその采配をどう評価するかやのうて、自分が向き合うてる人がどれだけ楽しんでくれるか喜んでくれるか、そこを見て、それが叶うようにめちゃくちゃ考えてお膳立てしてくれてはる。今夜も、ホンマに来るかどうかも確定してへん私のために、それでも私が美味しいと思って食べられるように、でも一人だけ違うメニューで恥かかへんようにってしてくれはった。大皿で取り分けるスタイルにせんと、敢えてあんな安っぽいプレートで『各自これだけな!』って形にして持って来たんも、私のフォローのためやろなぁ。外向けには『お客さんに食器ひとつマシなもん出さへん非常識なオッサン』って自分が恥かくようにすることで、私への気遣いとかフォローとか、あと私がかくべきやった恥の痕跡まで消してくれてるんや。……これ別に今回の料理の話だけやないよ? 昔も、私らのトレーニングに関してとかもみんなそうやったやん。私を筆頭にあんなにアク強くて出来の悪いメンバーしかおらん上に、あんなに素寒貧な予算しかない台所事情で遠征のスケジュールとか費用考えて効率よく組み立てて、それでもチーム全員、少なくとも三年間で一回は重賞の優勝レイかぶらせてもろて。いちばん出来の悪かった私が一回、ラビなんかは五回やったわなあ。ようやってくれはったわ。はじめてトレーナーとして指導を担当した奥さんが皐月と菊を獲れたんも、そら奥さんの素質も無視はできんけど、あのトレーナーやからやで。……ホンマにすごいなぁトレーナー。ガールハントステークスなんてG1が仮にあったんやったら、私の知ってる限りでも、トレーナーは少なくとも三勝してはるもん」 「……え? 三勝?」 「奥さんやろ、私やろ、……そしてアンタや」 「えっ?」 「……まさかアンタ、気づかれてへんとでも思うとったん? ラビ、アンタかてトレーナーが好きで好きでたまらんかったんやろ?」 「……はぁー……気づかれてたか、じゃあ私だけ隠そうとしてもどうにもならないね。……そうだよ。大好き」 「ありがとぉな。現役のとき、私が迂闊に先にトレーナーが好きやなんてアンタに吐露してもうたから、それでアンタはそれを私に言おうとせんかったんやろ? ……せやけどな、アンタがトレーナーを見る目に尊敬だけやない感情が入ってたん、私にすら見抜かれてんねんで? あのトレーナーが気づいてないはず、ないねんで?」 「うわー……恥ずかしい。もうトレーナーさんの顔見られない……」 「今までずっと知られたまま見てきたんやから、変なとこで恥ずかしがらんでええと思うで」 「……そうかな……?」 「トレーナーって、別にめっちゃ背ぇ高いでもないし、めっちゃ顔がええってわけでもないし、めっちゃしっかりしてはるってわけでもないやん」 「んー……。そうだねぇ確かに……物凄く抜けてて天然なところもあったし、かっこ悪いところも結構見たよね」 「でも少なくとも三勝もしたんは、そういうとこやろなって思うわ。……うちのガッコも趣味悪いで。多感期の少女にあんなアヘン与えて溺れんなっていうんがそもそも無理な相談やわ。私ら、トレーナーがもう五十過ぎのオッサンになってるときですらそうなんやもん、二十代の溌剌イケメン青年やったあのトレーナーを、しかも専属でぶち込まれた奥さんなんか、そらもうひとたまりもないわ」 「ははっ、とんだドンキホーテだね……」 「食事ご馳走になった後な、別れの挨拶したとき、私だけ二言三言、トレーナーと喋ってたやん?」 「……うん」 「世の中こんなに広くても、百パーセント自分の好みの異性なんかいないんだよ。俺はそりゃスカイを愛してるし、スカイはかなり自分の理想には近いけど、それでもまあまあ、いいとこ理想に合致するのは七割半ってとこで、あとの二割半はむしろこんなスカイ知りたくなかったってのが見えたんだ。その二割半に目を瞑るか、それでも我慢ができなきゃうまく育てて改善するかだ。七割半も愛しているのに、たかが二割半のことで対立して関係壊すなんてナンセンスだ。そしてたぶん今夜、トリの目には彼のそういう面が幾ばくか新しく見えたと思うが、それをどうするかはトリ、お前次第だぞ……って言われたんよ」 「……住んでる世界が違うよね、トレーナーさんは」 「それ。住んでる世界が違いすぎるわ。よっぽどハリウッドあたりの売れっ子の一流イケメン俳優のほうが簡単に手の届く場所にいてるで。……そう考えた途端、私にとってあの人ってまあまあ理想の六割五分くらいのとこにいてるし、あとの三割五分をうまいことやってこか、って思えた。……婚約からこっち、まだふわふわとした概念しかなかった結婚やけど、今の私の中では、もう近いうちに具体的に話詰めて、年内に入籍まで持って行こうと思うてるんよ。披露宴やるかどうかは別として」 「そっか、おめでとう」 「おおきに。……次はラビの番やで?」 「といわれてもぉ……」 「作戦会議しよか。どこでやろか? オールナイトの居酒屋くらいあるやろ? それともアンタの今住んでるアパートでもええで?」 「私のアパートって、この地下鉄の終点から更に乗り換えだよ?」 「ええやん。この際アンタにはどこまででも付き合うで! だいたいアンタ、自分がどんなええ女か理解してへんやろ? 私が男やったら、今頃アンタは私の嫁か、そうでなければ私のストーカー被害者やで?」 「冗談に聞こえないんですけど!」 |