#0005 『新たな好敵手ができた日』 「いやぁ、今日はランチタイム、とっても落ち着いてましたねぇ」 「そうだな、十一組十四人か。少ないな」 カウンターの中で大きな伸びをするエプロンドレスの彼女は、POSレジをのぞき込んで難しい顔をしているカマーエプロンの夫に問いかけた。 「ここ最近は激戦場なので、いつもこうだと、セイちゃん楽で嬉しいんですけど」 「楽かもしれないが、売上的には困るぞ。……もっと日替わりのインパクトが必要かな……。確かにアレじゃ写真映えするかといえば、地味で目立たないからな……。うーむ……」 目頭を右手で摘まみながら眉間にしわを寄せて考え込んでいる夫の肩を、セイウンスカイは後ろから軽く抱いた。 「たまたま今日が落ち着いていただけですって。だって、あんなに美味しい料理、どこの誰が見捨てますかって話ですよ。それに昔から『慌てる乞食は貰いが少ない』って言うじゃないですか」 「しかしなぁ、これはさすがに……。いつもはこの倍以上来ていただけるのに。おまけに今日は二十六日、一般的には給料日の翌日、しかも快晴で気温も申し分ない。客が増えることはあっても減ることはないはずなんだ」 「そういうの考えるのは、せめて店を閉めてからにしましょ? ところであなた、今日はどんなに素敵なまかないがセイちゃんの前に並んでくれるんですか?」 「ん……あ、そうだな、まかないだな。……準備してくるから、いつもの席で座って待ってて」 指を示して待っていた頬に寄せられた、少し荒れてかさついた唇の感触に相好を崩しながら、セイウンスカイは跳ねるような足取りで出入口に向かい『営業中』の札を返……せなかった。 「まだ大丈夫ですか?」 二人組の客が来たせいである。 いくらなんでも、今から最愛の夫とラブラブランチだから帰れとも言えず、瞬時にパッと笑顔を作ってセイウンスカイは対応する。 「ううん、そろそろお昼の休憩にしようかなって言っていただけなので、まだ入れますよ。……奥の日当たりのいい席、あそこにどうぞっ」 二人組を席に案内して奥の厨房に声をかける。 「二名様ご来店ですよ!」 「……ごめんなさいね、これから休憩という時間だったのに」 「あー、いいのいいの。今日はいつもよりお客さん少なくて、このままじゃお店潰れちゃうなって話をしてたくらいだから、来てもらうのは大歓迎だよ?」 凸凹コンビといった感じだった。大柄だが可愛らしい笑顔の優しげな雰囲気と、小柄で華奢で神経質な雰囲気。いずれも年齢は二十五を過ぎるかどうかといったウマ娘だ。その顔に覚えはないので初めての客だろう。そんな観察をしながらテキパキと冷水にレモンの輪切りを入れたジャグとグラス、そしてお手拭きを用意する。 「それじゃ、ご注文が決まったら呼んで──」 「あ、私はこの『日替わり・お腹いっぱい食べる幸せランチ』をください」 「……私はこの『日替わり・少しでも元気が出るランチ』で」 「はーい。あとは、食後サービスのドリンクはどうしますか?」 こちらはいずれも温かい紅茶のオーダーが入る。スパイスや果物などで着香したフレバードでも問題ないとのことだ。それらを書き込んだ複写の伝票の控えをそのテーブルに置き、原本を持って厨房に入った。 「あなた、ご新規二名様、オーダー。幸せランチと元気ランチ。食後はあったかい紅茶でフレバードオッケー。見覚えがないからたぶん来店初めてのお客さん。よろしく」 「サンキュ、スカイ。初めてのお客様ならなおさら気合い入れないとな」 「それともうひとつオーダー。セイちゃんの春巻き。お客さん的には、具材を堅くギュッと詰めてくれるのがお好みだそうです」 「え……? はは、はいはい」 十秒間ほど包み込むように力一杯に抱き締められて、耳元に甘い言葉のトッピングまでオマケされて、満面の笑顔を浮かべる。 「セイちゃんも手伝う」 「じゃあ、幸せの方は雑穀米百二十五グラムにスプーン半分のゆかり。元気は白飯七十五グラムにスプーン三分の一のゆかり。準備して」 「ほいほーい」 仕込みがされてあらかたのところまでできているとはいえ、それでも瞬く間に料理が上がってプレートの上に彩りが盛られていく。片方は見た目からふんだんにボリュームがあり、もう片方は一見しただけでは片方のボリュームを単に抑えただけに感じるが、シェフに云わせると明確に料理に使った材料や調理法が違い、だが色彩などを上手く考慮した結果、同じ料理の大盛りと小盛りに見えるだけでどちらを食べてもほぼ同程度の栄養素やカロリーを得られるという。たとえば雑穀米にも白飯にも赤紫蘇のふりかけを混ぜたのは色彩で雑穀を食べていると認識しにくくする工夫で、実質的において得られる糖質やカロリーはほぼ同等だそうだ。 「お待たせしましたー、こちらが幸せランチ、こちらが元気が出るランチでーす」 給仕すると、大柄のウマ娘が胸の前で両手を組んで目を輝かせた。ヘルシーメニューと銘打っていたので、もっと量が少ないものと見積もっていて大きな嬉しい誤算を生じたのだろう。華奢なウマ娘もプレートを見比べて、その二つがほぼ同量の栄養素を含んでいるということに驚きを感じたのか、無関心を装いつつもほんの少し目を見開いたのが確認できた。 その様子を、テーブルから引き下がってから奥の厨房にいる夫に報告する。 「二人とも、美味しそうに食べてるよ。……でもなんか、心なしかだけど、懐かしそうな雰囲気も出してるけど」 「ほう……? どんなお客様だ?」 「二人ともウマ娘。歳は二十五くらいかな。大柄で優しそうな子と華奢でナーバスそうな子だけど」 「……ん? ウマ娘で、二十代半ばで、大柄と華奢……。もしかすると、華奢の方はサウスポーだったりしないか?」 「……お箸を左で持ってるから、そうかも」 「そうか」 洗った包丁を布巾で拭きながら彼は言う。 「九年ほど前にチームで担当した子達だ」 「やあ……、久しぶりだなラビとトリ。元気そうで良かった」 「あー! やっぱりトレーナーさんだ! ご無沙汰しています!」 食後の紅茶を持って給仕に来た彼を見て、大柄のウマ娘、ラピッドラビットのトレードマークのような笑顔がさらに輝いた。 「積もる話もあるでしょうし、ちょっとお話ししてきていいですよ」 そう妻に言われたので、別のテーブルから椅子を引き寄せて、断りを入れてからそこに座る。 「もう指導の手を離した上でこういうことを言うのはなんだが、ラビは少しふくよかになったし、逆にトリはまた小さくなったな……」 「しかたないやん。食事は苦行。そもそもが食べたないんやから、もっとしっかり食べろとか言わたかて、困るわ……」 華奢な方、オートリヘプバーンが口を真一文字に締めて少し顔を背けた。 「その割にはトリちゃん、トレーナーさんのごはん、おいしいおいしいって食べたじゃない」 「何言うんよラビ! そんなんちゃう、そんなんちゃうから……!」 その様子を影からセイウンスカイは見ている。 話をしてこいと送り出しはしたものの、自分の半分ほどの若いウマ娘、しかもどちらも非凡な容貌だ。気にならないわけがなかった。 「しかし、わざわざ来てくれたのか、ありがとう」 「このまえ同窓会があって、そこでこのお店の噂を聞いたの。定年退職したトレーナーさんがここで喫茶店を開いてるって!」 「いや……それはちょっと違うな。さっきウエイトレスをしていたウマ娘がいるだろう? ここは彼女の店で、俺はここに就職した雇われだ」 「その割には、そのオーナーとえらい仲良さそうでしたやん?」 「あ……ああ……うん。それはそうかもしれないな。その、彼女は妻だから……」 「奥様? トレーナーさんご結婚されてたんですか? ストイックな人だから、生涯独身を貫かれるのかと思ってた!」 「ストイック……かな。確かに結婚なんて俺には無縁だと思って考えだにしていなかったけれど、それ以外についてはそこまで無欲ではないつもりだが。……恥ずかしながら老いらくの恋とかいうやつでな……まだ入籍してすぐなんだ」 「なんなんそれ……。あの人だれなん?」 「誰と言われても。……彼女が現役だったのは四十年ほど前だからラビもトリも知らないかもしれないけど、セイウンスカイ」 「セイウンスカイ……って、えっ! 皐月と菊花をもぎ取ったあの黄金世代二冠のですか?」 ラピッドラビットの素っ頓狂な声に頷く。 「彼女はトレーナーとしてトレセンに行って初めて指導をした子でね。まぁ、うん、いろいろ紆余曲折があって、お互いにこんな歳になってからの入籍なんだが……」 「そんなん、そんなんイヤや。赦されへん!」 話を聞きながらかすかに震えていたオートリヘプバーンと呼ばれた華奢な方が激昂した。 「そんなウマ娘、もう子どもかて出来へんのに。ババァやし。アカンわ!」 ……グラスが砕ける甲高い音がした。 床にそれを叩きつけたのは、……彼だった。 「トリ。……いま、お前、聞き捨てならないことを言ったな?」 普段柔らかい者が怒ることほど怖いものはない。今がそれだった。 「もう子を産めないババァだからどうした? 商品価値のないゴミだとでも……そう言いたいのか?」 スッと立ち上がる。 「オートリヘプバーン。お前はまだ子どもも産めるだろうしババアという歳でもないが、俺にとってみればそんなお前の方がよっぽど価値のないゴミだよ。そんなゴミからのおこぼれにすがってまで生きる屈辱なんかは要らない。食って飲んで気が済んだらもう帰ってくれ」 これで話は終わったという雰囲気で、テーブルに置かれた会計票を破ってから厨房へ引き返す。 「……あっ」 「……あっ……見ていたのかスカイ。ごめん。少しだけ頭を冷やしてくる。アフタヌーンティの営業までには帰ってくるよ……」 愛妻の髪を愛おしそうにくしゃっと撫でて、その存在を確かめるように強く腕に抱いてから、奥へ引っ込んでしまった。 「えぇっと……」 心底申し訳なさそうな表情で、そのテーブルの横にセイウンスカイは立った。泣きじゃくるオートリヘプバーンにいたたまれない表情のラピッドラビット。端的に言って地獄絵巻だ。 「一般常識で考えれば、こんな老い朽ちちゃった私に商品価値なんてもうないから。至極当然の事実だようん。私は怒っていないから、ね?」 先刻まで夫が座った椅子に腰掛ける。 「あの人が、好きなんだね。……さすがにあそこまで言われると……悔しかったよね、ごめん」 「うるさい! 勝者が余裕ぶっこいて、敗者をいたぶるみたいに哀れまんといて!」 「トリちゃん! この期に及んでなんて酷いことを言うの?」 涙を浮かべながら親友を制するラピッドラビットに両の掌を見せてなだめてから、セイウンスカイはもう一度オートリヘプバーンに向いた。 「……私のことを勝者って言うけど、どうなのかな? 三十余年もみっともなくズルズルと心の中に引きずって、苦しんで、そのくせ何も行動しなくって、心の中で想っていればいいなんて負け犬みたいに吠えて、卑屈になってた私だよ? もしあの人と結ばれた現状を勝ちだと定義するとしても……何も誇るものがない、心底格好悪い勝ちだよこんなの……」 そっとトリの頭に手を伸ばした。手は、振り払われなかった。 「ずっとずっと未練がましくて、諦められなかった私が言えることではないかもしれないけど、あの人より素敵な人がいると思う。あなたにはその人を連れてまたここに来て、私に地団駄踏ませて悔しがらせてほしいかな」 「……覚えときや。……絶対に、絶対に、アンタをコテンパンに潰しに来るからな。覚悟しとき」 涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げたが、その瞳には晴れやかな光が宿っていた。 「潰すときまで二度と来るななんてことは、私はこの店のオーナーとして言わないよ。普通にいつでも、またごはん食べに来てね。あの人だって売り言葉に買い言葉であんな過激なことを言っただけで、あの人の性根は、担当した教え子を妄信的に溺愛しちゃうような、そんなおバカなクソボケのトレーナーだから」 「……あそこまでどうしようもないクソボケやとは思ってへんかった、さすがに幻滅したわ。……せやね、奥さんの言わはる通りやわ。戦に出るときにはしっかり食べて性根据えなアカンからね。……拒食やった私をずっと走り続けられるくらいに育てたあのごはんは、これからも食べなこのレースにも勝たれへん……! 作ってるんがあのクソボケかっていうんだけが、なんや悔しいけど」 「私も過食で苦しんでたとき、トレーナーさんのこのごはんで救われたから。また来ます。おいしくて懐かしくて、またこれが食べられたのが嬉しくて。……でもお代はどうしましょう……?」 ビリビリに引き裂かれた会計票。 「今日はもういいよ、私のおごり。……その、私はお代は要らないと思ってはいないんだけど、今日は私にまた、こんなに手強いライバルができた日だから、ね? ……もし、どうしてもお代をというのなら、グラスを故意に割っちゃってくれた、あの人のお小遣いから天引き。……ね?」 三者三様が泣き笑い。窓から差し込むお日様だけが穏やかにそれを眺めていた。 モブウマ娘を2人出しました。彼女たちの大まかな感じを。 「オートリヘプバーン」 ( Ohtori Hepburn ) 大阪弁ウマ娘ということで、スクリーンの妖精オードリー・ヘプバーンの名前を文字って大阪府堺市の大神社「大鳥神社」の「オートリ」に置き換え。小柄で細い子。割とタマモクロスっぽい感じがなくもないですが。 ツンデレ気質でトレーナーにも突慳貪な態度を常日頃から取っていましたが、何を言おうが泰然自若としていて、それでいてしっかりと主張したいことを見抜いてその方向にソフトランディングさせてくれるという、齢と苦労を重ねたが故に可能なスキルに参ってしまった本案件での被害者。 なので、今回スカイを「子どもも出来ないババア」と言ってしまったことで初めて虎の尾を踏んでしまいました……。可哀想に。 「ラピッドラビット」 ( Rapid Rabbit ) ラピッド(rapid)は「迅速な」ラビット(rabbit)は「野ウサギ」から。 ヒシアケボノほどではないですが、大柄な子です。どこがウサギやねん、という誹謗は受けてきたけど明るく慈愛に満ちた目で笑ってる子。 とても心優しく、現役中は「自分が勝つことで泣く子がいるのに、勝っていいのか」ということで心を痛めたこともあります。そんな子に、このトレーナーは「ラビが勝てば俺が嬉しい。確かにあの子達は泣くかもしれないが、俺が喜ぶ顔で相殺できないか?」などと言っちゃいました。 そして本当に演技ではなく喜ぶので、それで脳が壊れて25歳になるまで彼氏を作ることができなかった……つまり彼女も本案件での被害者です。 ……まぁ、店内備品(グラス)は壊されるわ、従業員に就業放棄はされるわ、仲裁はさせられるわ、まかないを食べ損ねるわ、売上は出ないわ、ババア呼ばわりされるわ、そもそも恋の成就まで三十六年も待たされたわで、スカイがいちばんの被害者なのですが。 |